ザリガニを釣れ!

漫画家 大童澄瞳の公式ブログです。告知や日記など

『映像研には手を出すな!』未収録あとがき

 

あとがきの為に書いていた文章であるが、結局提出もせずボツにしたのだ。

以下はその文章。

 

 

飼育が比較的容易であるとされるメダカだが、飼い始めたばかりの頃は勝手がわからずかなりの数を死に追いやってしまって、生き物を生かすのはこんなにも大変なことなのだと、生きとし生けるものの神秘性と人工的に生命をコントロールする難しさを知った。

一方で自分自身の命は「飯を食わなきゃ俺は死ぬ」というぐらいの知識しか持ち合わせていないない身でありながら、安定して(しかも大童澄瞳という人間の手によって人工的に)生かされているわけで、明文化されていない生存術・経験則というものも侮れない。

人類は経験則を盾に死をかいくぐり生きてきたのだ。

さて、アニメだのマンガだのに足を突っ込んだ少年少女諸君等の大半はオリジナルストーリーの妄想にいそしむ時期があるだろうと思うが、僕も例外にもれず中学生の時分にはそのような日々を送っていた。

学校に行かずダラダラとアニメだの映画だのマンガだのを観、ワイドショーを延々観続ける日々の中で、たまに自転車で出かけては青春劇の主人公の如く野っ原にひっくり返って「気の遠くなる様な時間を生きてきた巨木は、溜め込んだ情報を異物として吐き出すのだ。そしてその異物は美少女の形なのだ。」などと考えつつ、自分が野っ原にひっくり返って青空を眺めている状態とその経験もいずれ作品(何の媒体かは知らんが)に活かそうと考えていた。

それから幾年月、漫画連載に興味はないかと声をかけられた時も、これは面白い経験になりそうだぞ、何かのネタになるぞと思った。

単行本が出版されるという今もまだ「単行本が出版される経験は何の役に立つだろうか」と考えているのだが、今語った僕の人生の重要な経験はこの"あとがき"の為にあったのだろうかと、悩んで眠れぬ日々は何の役にたつだろうか。

メダカは生きていて、数も増えつつある暮れのことである。